いやぁ、ブログを始めてから早10ヶ月ですよ。びっくりしましたねぇ。
ネタがなくなるどころか、書きたいことが次々に出てきて収拾付きませんねぇ。。。あれも書きたい、これも書きたい。。。
そんなときは「異邦人」を読んでみましょう(笑)。もうすぐ、今週の木曜日から日仏学院の通信講座がスタートするし、真面目にフランス語ネタでいくわよ。これから忙しくなるかしらね!? それとも通信講座の問題もここでネタにされるのか?
さて・・・「異邦人」は今、弟一部の3章の終わりです。
アパートの隣人のレエモンの部屋で、彼の情婦についての話を一通り聞き、彼女宛の手紙を代筆したムルソーはどうなるのでしょうか?
Il a cacheté la lettre et nous avons fini le vin.
彼は手紙の封をして、われわれは酒を切りあげた。
le vinのワインが酒と訳されていますね。ささいなことだけど、文を読んだときに受ける雰囲気がだいぶ変わってしまうような。。。
フランス人にとってはワインは日常的な飲み物だけど、日本人にとっては高級なイメージがあるから、あえてここでは酒と訳したのでしょうかね。
Puis nous sommes restés un moment à fumer sans rien dire.
それから、二人とも一言もいわずに、煙草をくゆらしながら、しばらくじっとしていた。
ここで面白いと思ったのは、しばらくと訳されているun moment、仏和では一瞬と載っていますが、文脈によって、ちょっと、すぐ、いっとき、ほんの少し、しばらくと・・・全部アリだそうで、日本語の時間の定義よりかなりいいかげんなような・・・。
J'ai dit : Il est tard. Raymand le pensait aussi. Il a remarqué que le temps passait vite et, dans un sens, c'était vrai.
「遅くなったね」と私はいった。レエモンもそう思っていたのだろう。時間が早く過ぎる、といった。ある意味では、これは真実のことだ。
このフレーズ、日本語では動詞のdireもremarquerも両方、いったと訳されていますが、remarquerのほうが、direより物事を強調する場合、指摘するときや、注意を促すときなどに使うことが多いと思います。
J'ai dû avoir l'air fatigué parce que Raymond m'a dit qu'il ne fallait pas se laisser aller.
私は疲れた風に見えたに違いない。というのは、レエモンがやけになっちゃいけない、と私にいい出したからだ。
ここで、やけになると訳されているse laisser aller、これは和仏などの解釈によると、投げやりになるというような意味と、身を委ねるというような意味の二種類があるそうな。こういう表現って、前後の文脈によって感覚的に掴んだほうが間違うことが少ないように感じます。上のフレーズはもちろん前者ですが。。。
D'abord, je n'ai pas compris. Il m'a expliqué alors qu'il avait appris la mort de maman mais que c'était une chose qui devait arriver un jour ou l'autre.
はじめ、私には何のことやらわからなかった。そこで、彼は、ママンの死を知ったということ、しかし、それはいずれはやって来るはずのものだということを、説明した。
ここでは動詞のarriverはやって来ると訳されていますが、(事物が)起こると訳するのもいいかもしれません。いずれは誰にでも起こるべきことだということ、とも訳せますね。
Raymond m'a serré la main très fort et m'a dit qu'entre hommes on se comprenait toujours.
レエモンは強く強く私の手を握り、男同士の間なら、いつだってわかり合えるものだ、といった。
・・・entre hommesって、男同士なのかな? 人間同士って訳も可能な気がしますが、どうなんでしょう?
こうして読んでみると、レエモンって案外いい奴?
ううむ。この「異邦人」を読むってカテゴリー、和訳に突っ込みを入れるという企画で始めましたが、なにか自分自身、感覚的に「フランス語を読む」ということが日々、楽になってきて、ブログを始めた頃よりスンナリと仏文が読めるようになってきて、あまり以前より「ひっかかり」を感じないのよねぇ。
窪田啓作氏の訳は原文との差をあまり感じさせないし、このテキスト自体読みやすいので、この頃、突っ込みが足りないかしら~☆
さて「異邦人」を読みます。
レエモンの告白はまだ続きます。ムルソーはというと相変わらず淡々と彼の話を聞いているだけなのですが、今回はどうでしょうか?
Je la tapais, mais tendrement pour ainsi dire.
あいつをたたいてやったさ、ほんのお手やわらかにね。
このフレーズで使われているpour ainsi direは慣用句でほとんど、まるで、いわば、といった意味です。
Elle crait un peu.
あいつはすこし泣き声を立てた。
Je fermais les volets et ça finissait comme toujours.
おれは鎧戸を閉めた。そこで、終わりはいつものごとしさ。
ここで使われているetは結果を表しているようです。それで、そうしたらといったニュアンスだと思われます。
Mais maintenant, c'est sérieux.
でも、こうなって見ると、笑い事じゃ済まされない。
このフレーズの訳は意訳的ですね。
Et pour moi, je l'ai pas assez punie.
それに、おれとしたって、まだ女を凝らし足りない
レエモンはムルソーにこの話をどう思うかと尋ねます・・・
J'ai répondu que je n'en pensais rien mais que c'était intéressant.
私は、別にどうとも思わないが、なかなか面白い話だと答えた。
するとレエモンは自分のたくらみをムルソーに話します。そして女を呼び出すための手紙の文面をここで考えて欲しいと言います。
ムルソーは抵抗なくすぐに手紙を書き、声を上げてそれを読みます。
それを聞いたレエモンはすっかり満足してこう言います・・・
Je savais bien que tu connaissais la vie.
お前には、世の中のことがよくわかっている、それがおれにはよくわかるよ。
ここで出てきた名詞のvieは人生、生活というよりは、世間といったニュアンスです。
その言葉を聞いたムルソーはこう感じます・・・
Je ne me suis pas aperçu d'abord qu'il me tutoyait. C'est seulement quand il m'a déclaré : Maintenant, tu es un vrai copain, que cela m'a frappé.
最初、彼が私を「お前呼ばわり」したことに気がつかなかったが、「こうして見ると、お前はほんとの仲間だ」といわれたとき、その言葉が、はじめて私をびっくりさせた。
ここではじめてレエモンはムルソーにtutoyerで話し、呼ばれた彼自身もそれに気づいてびっくりしています。お前呼ばわりと訳されていますが、要するになれなれしい口の利き方をされたってことです。
フランス語には丁寧な言い方をするときの婉曲表現というものがありますが、日本語の敬語にあたるものがないので、その点は楽なのですが、会話の場合、仲間うちや目下の人に話すtutoyerと、初めて会った人や一般的な関係の場合のvouvoyerの大きく二種類の喋り方があります。
最初にvouvoyerで話していた人が、なにかを境にtutoyerに変わるというシーンは小説や映画などでたまにみかけるし(特に男女の間で、恋愛関係に発展するときなどにみますね☆)、フランスでの日常生活でも相手によって使い分ける必要がありました。学校のクラスメートや先生(たまに例外もいますが☆)、ステイ先の家族などには初対面のときからtutoyerでした。街で知らない人と話す場合(ものを尋ねるときや、軽い世間話などのとき)はvouvoyerでしたね。
さて、レエモンは自分の相談事に付き合ってくれるムルソーに、すっかりと心を許したみたいですね。肝心のムルソーの方はというと・・・
j'ai dit : oui. Cela m'était égal d'être son copin
私は「そうだな」といった。彼の仲間だろうと、そうでなかろうと、私にはどうでもいいことだった。
このCela m'être égal de+動詞の原型~という表現はムルソーお得意のフレーズですね。私には~なのはどうでもいいと固まりで覚えておくと使いやすいかもしれません。
・・・意外とこの小説って、ムルソーのセリフにあるような曖昧な表現を学ぶのにいいテキストかもしれませんね。
さて、久々に「異邦人」でも。
読んでくださっている方、お話もわからなくなっているでしょうが、今日は自分の部屋にムルソーを招待したレエモンが、自分の情婦のことを告白しているシーンです。
今回の部分で動詞のdireの訳し方が何パターンもあって面白かったので、それにも注目してみます。
Pour en venir à mon histoire, m'a-t-il dit, je me suis aperçu qu'il y avait de la tromperie.
「例のいきさつに戻れば」と彼はいった。「だまされていることに気がついたんだ」
ここでのdireは複合過去形で言ったで訳されていますね。これは辞書どおりの一般的な訳しかたですね。
madame ne travaillait pas. Mais elle me disait que c'était juste,qu'elle n'arrivait pas avec ce que je lui donnais.
あいつは働こうとしない。しかも、これではぎりぎりだ、あんたからもらうものではやってゆけない、とぬかした。
こちらでは半過去形になっているdire、ぬかしたと訳されています。過去にあったことで、習慣的なことはこのように半過去形で表現します。レエモンはよくこの情婦に「お金が足りない」と言われていたのが、ここからもわかります。
そして、このフレーズに見られるmadame、普通だったら敬うべき表現をあいつと訳していますね。これは皮肉を表現しているのでしょうか。
Pourtant, je lui disait : Pourquoi tu travailles pas une demi-journée ?
それでおれはいってやった。「なぜ、お前は半日でも働かないのだ。
こちらのdireも半過去形。いってやったと訳されてます。このセリフも日常茶飯事だということが活用形からわかります。
Mais elle ne travaillait pas, elle disait toujours qu'elle n'arrivait pas et c'est comme ça que je me aperçu qu'il y avait de la tromperie.
しかし、あいつは働かず、相変わらずやってゆけないといっていた。こんな具合で、何かだまされてると気づいたわけなんだ。
こちらのdireも半過去形で、ここではいっていたと訳されています。
それから先ほどもでてきたn'arrivait pas、やってゆけないとここでは訳されています。これは出来ない、上手くいかないと言いたいときに便利な表現です。会話ではこう言いたいときに、動詞のpouvoirで言おうとしがちなのですが、このarriverを使った表現のほうが、やわらかく自然な場合も多いです。
d'abord, je l'ai tapée. Et puis, je lui ai dit ses vérités.
おれはまず女を引っ叩いて、それから、あいつの正体をきめつけてやった。
こちらのdireは複合過去形ですね。きめつけてやったになっています。
je lui ai dit ses véritésは直訳調にすると、わたしは彼(彼女)の本質を言った、という感じかな。
Je lui ai dit que tout ce qu'elle voulait, c'était s'amuser avec sa chose.
自分のあれでたのしむこと、お前の望みはそれだけなんだ、といってやった。
こちらのdireも半過去形。いってやったと訳されています。この出来事が習慣的なことではない、ということがここからわかります。
このフレーズのなかで自分のあれ、と訳されているsa chose、名詞のchoseは話し言葉で、あれ、なんとか、というようにはっきりと物や人物などを言いたくないときに使います。最近の映画などでも、たまにこの表現をみつけることがあります。ぼやかしながら、逆に強調したいときに使うんでしょうね。暗示的な表現というか、日本語でもこういう言い方ってありますよね。
Comme je lui ai dit, vous comprenez, monsieur Meursault : Tu ne vois pas que le monde il est jaloux du bonheur que je te donne. Tu connaîtras plus tard le bonheur que tu avais.
「お前にはわからないんだ。世間というやつは、お前がおれから受ける幸福をうらやんでいるんだ。もうすこしたったら、お前の持っていた幸福がわかるだろうさ」とね、ムルソーさん、おれはいってやったもんだよ。
こちらのdireも複合過去ですね。いってやったもんだよと訳されています。
時制の訳し分けというのは難しいと思うのですが、日本語の前後の文を考えて不自然にならないようにすると、元の原文の時制に忠実でなくなることも多いです。これは絶対的な正解のない世界と考えて臨機応変にするのが一番のようですね。日本語ではフランス語のようにたくさん過去形にヴァリエーションがないので、変に気にすると文がおかしくなりそうなので(笑)。
文法の時制の勉強で活用うんぬんよりも、この複合過去と半過去の使い分けが最初の頃、理解に苦しみました。これは理屈をふまえた上で、いろいろなテキストに触れて少しずつ掴んでいくのがいいかと思います。
過去時制に種類があるということは、逆に考えると文章に立体的な効果を与えていて、慣れるとそれがあるために読みがわかりやくなるのですね。
話は違うかもしれませんが、日本語でも漢字は覚えるときは大変だけど、それがあることによって文を読むときにわかりやすくなったりしますよね。最初、めんどうだと思ったことも慣れると、なるほど便利に出来ているなーと感心することも多いです。男性形・女性形なども、それがあるために便利なことはいろいろあります。いずれにしてもアルファベットの国の人が漢字を覚えることに比べたら、フランス語の読み書きそのものはシンプルな面も多いです!
前のフレーズに話を戻すと、vous comprenezの部分は訳文では省かれています。これは、あなたはおわかりですね、といったように訳しても間違いではないのですが、もっと軽く、ねぇ、と念を押すような意味で会話で使われます。翻訳する場合は、だいたい訳さず省かれることが多いです。
それにしても、今日も長々と書いてしまいましたね(笑)。読むたびにいろいろ発見があって面白いです。このブログもカテゴリーがいろいろあって、こちらの更新は相変わらずゆっくりなのですが、のんびりやっていきます。