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パリのカフェ

今日は珍しく、カフェのお話なんてしてみようかしら♪




上の写真はサンジェルマン地区の小さなカフェです。パリを歩けばカフェにあたるというくらい(!?)街並みに溶け込んでいますね。
そもそも、カフェってなに? と素朴な疑問を抱えつつ、調べてみると現在のカフェの原型ができたのはフランスではなくてイギリスだったそうな。1650年、当時はコーヒー・ハウスと呼ばれ、大変流行したそうです。これが後に現在のようなパプへと変化したわけです。
フランスではパリ最古のカフェと呼ばれるものが出来たのは1675年のこと、サン・ジェルマン大通りをちょっと入ったところにある現在のル・プロコップ(Le Procope) です。
サンジェルマン地区にはその他にも、有名カフェが多いです。サルトルも通った1860年創業のカフェ・ド・フロール、そのお隣にあるのはパリで最も有名なカフェといわれているレ・ドゥー・マゴ。ここはカフェになる前は中国民芸店だったらしい(笑)。
わたしがこの地区の有名カフェで行ったことがあるのはラ・パレット。小さな通りにあってテラス席も通りではなく広場に面しているので静かで、内装も下町風のレトロ調でかわいいです。
このカフェ「ラ・パレット」の外観と内装、おまけに店主のジャン・フランソワ・ル・エナフさんのインタビューはムービーで観ることができます。コチラから004番です

他にもセーヌ川やマレ、ベルシー地区など、いろいろな映像をここから楽しめますね。

「ラ・パレット」なかなかいい感じでしょ。インテリアも渋くて落ち着いていて、店内のソファーが座り心地いいんですよね~。
ただ、この素敵なカフェには唯一の欠点があって、トイレが・・・アラブ式なんですね。
アラブ式トイレというのは、ぶっちゃけて言うと、ただ穴があいているだけです。。。とりあえず足を乗っける台っぽいのは付いているけど。。。それはいいんですけど、流すときに、穴が開いているだけなので、つまり水が溢れるんですね(汚いっ)、だから流すときに、ヒョイと上手にどけないと、足がびっしょりになってしまいます★
古いカフェやレストラン、内装やムードがよくても、入ったトイレがアラブ式では、がっくりしてしまいます。

あと、わたしは外でお茶するのが大好きなんですけど、パリのスタンダードなカフェってテーブルも小さく、席も隣との距離が近すぎて、おまけにパリの人たちのひっきりなしのうるさいお喋りのなか、目の前を車や人がどんどん通っているところでコーヒーって感じでもないような気がして、どうも落ち着かない場合が多いです。

どちらかというと伝統的なスタイルのカフェより、もうちょっとくだけた雰囲気のお店が好きかな。




上の写真はバスティーユのカフェ。こんな感じで夜になるとバーに変身するようなお店。コーヒーよりコーラ、フランスではコカ(Cocaという)のほうが似合いそうですね。テーブルも大きめで、テラス席の天井はガラス張りになっています。レ・アールに近いサンドニ界隈とか(奥のほうまで行くと娼婦街ですが)、意外な地区に穴場なカフェがあるような気がします。オベルカンフ辺りは夜の街といったイメージで、昼間お散歩にいっても案外退屈な気がしました。

ところで、わたしさっき、ようやく「アメリ」をDVDで観ました。以前から噂は聞いていました。日本はもちろん、フランスでも大ヒットした作品だそうで。この映画に出てくるモンマルトルで「アメリ・ツアー」と呼ばれるものまでできて、舞台になったカフェや八百屋さんをめぐるコースもあるらしい。
この映画の監督って「デリカテッセン」のジャン=ピエール・ジュネですよね。わたしの趣味でいうと、映像的には好きじゃないっす。グロ系ですよね。「お洒落」「癒し系」という意見には疑問を感じます☆ 
主演のオドレイ・トトゥはクレモンフェラン映画祭のショート部門が札幌に来ていたときに「言っちゃった」(Pourquoi Pasqueu)という短編作品で観たことがあったのですが、あんま趣味じゃないなー。相手役の男の子もなー。・・・と、いうわけで趣味じゃない映画でした☆ 
こちらのちょっと批判的な意見、面白かったのでご参考に~

この映画のなかに出てくるカフェも、一般的などこにでもあるような下町のカフェなんですけど、やはり映画に思い入れのある人にしてみれば「特別なカフェ」なんでしょうね。
メトロのアベス駅の構内とか、東駅の構内にしても、魅力的に撮られているけれど、パリのなかではどうってことない普通の駅ですもんね。。。それがいいのかしら?
それにしても「サンマルタン運河で水切り」するヒロインなんて、あんまりフランス映画でみたことありませんでしたね(笑)。「飼ってた金魚の身投げ」とか(笑)、時間がたてば愛すべき映画になるのかもしれませんね。。。でも感触としては、あまり心地よくなかったな。

わたしはどちらかというと、地方のカフェのほうがのんびりしてて好きですね。南仏の小さな町の広場にあるカフェとか、古い町の教会の前のカフェとか。そっちのほうが、心地いいです♪

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2005年10月30日 | パリの出来事 | こめんと 26件 | とらば 0件 | とっぷ

アルジェの光の巣

「異邦人」の世界では、いつもギラギラと太陽がきらめいているみたいだけど、わたしの住む北海道では、初雪が降りました。。。もう冬です(積もらず溶けたけど)。今年は雪虫、大発生だそうで、歩いていると白い小さな虫がフワフワと集団で体に張り付いてきます!

さてさて、どこまで読んだかな? ママンの埋葬のためにムルソーやペレーズ氏、院長、神父などが行列を作って、ようやく村の入り口までたどり着いたところからです~。

Tout s'est passé ensuite avec tant de précipitation, de certitude et de naturel, que je ne me souviens plus de rien.

それからあとは、すべてごく迅速に、確実に、自然に事が運んだので、もう何も覚えていない。
ここで、事が運んだと訳されている動詞se passerはここでいう、事が起こる物事が行われるのほかに、時がたつ時間が過ぎるという意味もあります。

Une chose seulement:à l'entrée du village,l'infirmière déléguée m'a parlé.

ただひとつだけ、記憶がある。村の入口のところで、受持ちの看護婦が私に語った。

実は、前々回わたしが、この物語のなかで地味だけれど印象的なキャラがいると言っていたのは、この方なのです。

Elle avait une voix singulière qui n'allait pas avec son visage, une voix mélodieuse et tremblante.

彼女はその顔付きにつり合わぬふしぎな声をしていた。音楽的な震えるような声だ。

ここで、ふしぎなと訳されている形容詞のsingulière は、ニュアンス的には奇妙なおかしな変わったなどのほうが近いかな。
そんな声で彼女が言ったセリフとは・・・

Si on va doucement, on risque une insolation.

ゆっくり行くと、日射病にかかる恐れがあります。

Mais si on va trop vite, on est en transpiration et dans l'église on attrape un chaud et froid.

けれども、いそぎ過ぎると、汗をかいて、教会で寒気がします。

ここで面白いと思ったのは、attraper+un chaud et froidで、寒気がすると訳されているところ。一般に寒気がすると言いたいときは、動詞のprendreを使います。

そんな彼女のセリフに対してムルソーは、こう考えます・・・

Elle avait raison. Il n'y avait pas d'issue.

彼女は正しい。逃げ道はないのだ。

名詞のissueは、この場合比喩的に解決策、という意味で使われています。一般的には出口という意味ですね。
この焼け付くような太陽の下では、もはやどうすることもできないのでしょうか?
そのあとは、まるでフラッシュ・バックのようにムルソーの記憶の断片が羅列するだけです。ベレーズ氏の顔、教会、村人、墓石のそばの花、そしてまた、ペレーズ氏の失神(悲しみのためか、暑さのためか不明、両方と考えるのが自然かな。ムルソーはそれを操り人形にたとえている)、ママンの柩にかかった土の色、人々の声・・・
このなかでわたしが気になったフレーズはというと・・・

la chair blanche des racines

草木の根の白い肉

ん、肉?

chairは確かにという意味の名詞だけど、他にとかとか(笑)。

le nid de lumières d’Alger

アルジェの光の巣

まっ、詩的な表現♪ 名詞nidって、の他になんか意味があるのかしら? と仏和を引いてみました。巣窟(そうくつ)という意味も載っていたけど、あと住まいとか。なんかピンときませんね。やぱり、le nid de lumières光の巣とするのがいちばんきれいかな。鮮やかなイメージが浮かびますね。

ううむ。やっと、1部の1章が終わりました(笑)。
カミュの淡々とした口調、特になにか大きな出来事が起こるわけでもない、お通夜と埋葬のシーン。そこでのムルソーの疲労と、そこで出合った滑稽な人々。。。
わたしは、この盛り上がらない章の中で、最後にポツリとムルソーに語りかける受持ちの看護婦の存在が妙に気になりました。それも「音楽的な震えるような声」ですよ。怪しいですね~。
後にムルソーは、この看護婦のセリフを再び思い出したりもするのですが・・・
それは、またのお楽しみ♪と、いうことで。さよなら~

2005年10月28日 | 「異邦人」を読む | こめんと 22件 | とらば 0件 | とっぷ

セーヌ川のほとりで




パリの典型的な風景を求めて、今日はポン・ヌフ周辺のセーヌ川の風景を選んでみました。

わたしは留学する前に旅行で何度かパリに行っているのですが、今日お送りする写真も旅行のとき撮ったものをアップしてみました。ちょうどこのときはポンヌフはお色直しの最中だったので、橋の上のほうだけ真っ白になってますね☆
パリでいちばん古い橋、ポン・ヌフ(Pont Neuf)。そういえば「ポンヌフの恋人」という映画がありましたね。あれは実際、ここでロケをしたのではなく、南仏に大掛かりな野外セットを作って撮影したそうです。革命記念日(パリ祭)の花火のシーンが印象的でしたね。わたしにとっては、あんましピンとこない映画だったんですけど(笑)。

上の写真は左岸に向かって撮ったものです。右端のほうにみえる丸いドーム状のものは、アンヴァリッド(Hôtel des lnvalides)。なかにはナポレオンのお墓があり、軍事博物館も入っている建物です。中央よりやや左寄りに、59階建てのモンパルナス・タワーがちょろっと覗いているのがわかるでしょうか?




おや、この写真はモロ・工事中ですね☆
セーヌ川はご覧のとおり、濁っていてきれいな川ではありません。
それでも妙に叙情を感じてしまうのは、なぜでしょうね?




午後の光できらきらした水辺を、水上バスがゆっくりと通っていきます。

右にみえるお城みたいな重厚な建物はコンシェルジュリー(Conciergerie)。かつて、マリー・アントワネットが幽閉されていたことでも知られています。

このセーヌ川の遊覧船は、バトービュスと呼ばれる水上バスとカノラマ(サン・マルタン運河下り)のほかに、なんと4種類もあります。いちばん有名なのはバトー・ムーシュ(Bateaux-Mouches)でしょう。わたしが乗ったことがあるのはヴデット・ド・パリ(Vedettes de Paris)という遊覧船。パリの中心を通るものはだいたいが所要時間1時間くらいで、コースも微妙に乗り場が違うくらいです。あと、バトー・ムーシュの食事つきのコースの場合は2時間くらい、要予約、要正装だそうです。
パリのセーヌ川の周辺は世界遺産にも登録されているということもあり、なかなか見ごたえがありました。俗っぽいような気もしてたけど、実際に乗ってみると想像以上にみごとでした。川辺を散歩して見ていたときとは、まるで視点が変わって見えるし、天気のいい日などに、水辺の風に吹かれてみるのも気持ちいいですよ。まだの方はぜひ!




さて、セーヌ川のほとりといえば、やはり恋人たち♪でしょう。
いた、いた~♪ ←橋の上から写真撮っているわたしって、一体。。。




あ、もちろん、普通に読書している人、お昼寝している人もごじゃります。
水辺でまったりと、気持ちよさそうですね~。ちゃんと、みなさん絵になってるし。。。




なんか、ザブザブ音がすると思ってたら、でかい犬が泳いでました。ずぶ濡れなまま川から飛び出してきて、どこかへ行っておしまいになりました。。。

セーヌ川といえば、わたしはアポリネールの「ミラボー橋」という詩を連想します。
それでは、原文を部分的にどうぞ。

Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé
Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine

Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure


堀口大學の訳もどうぞ。

日が去り月がゆく
過ぎた時も 昔の恋も
二度とまた帰って来はしない
ミラボー橋の下を セーヌ河が流れ

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る


わたしはこの詩をはじめて目にしたのは、たぶんまだ小学生くらいのときだったと記憶しているのですが、「わたしは残る」っていうフレーズが妙に心に引っかかったのです。もちろん意味はわからなかったのですが、この詩に流れる人生の哀愁のようなものを勝手に感じました。思えばこれがわたしとフランス語とのはじめての出会いだったのかしら・・・。
後に、大人になってフランス語をはじめてから、この詩を学習教材のこのような訳で見かけました。

日々は去り
去った時も
昔の恋も帰ってはこない
ミラポー橋の下 セーヌが流れる

夜よこい 鐘よ時を告げよ
日々は過ぎ 僕はとどまる


はじめに出会ったのが、こっちの訳のほうだったら、たぶんこの詩は心に引っかからなかっただろうな。「僕はとどまる」って自殺をやめたのか? (実際、セーヌ川の飛び込み自殺は結構あるらしいが) 
失恋した人が橋の上から「どーしよっかな、やーめた」って意味の詩に変わってませんか? これでは。
堀口大學の訳では、なにか人生の黄昏のような深いものをひたひたと感じます。虚無感ってものを。太宰治の「人間失格」のなかのフレーズ、「ただ、いっさいは過ぎていきます」っていうのを後に読んで、なにかこれに共通する感覚を覚えました。

ううむ。重い話になってしまいましたが、セーヌ川のほとりでは誰もが詩人になれるのかもしれませんね。愛を語るもよし、人生を語るもよし、泳ぐのもよし(!?)、ここでの、わたしはただの通りすがりですね。
♪ちょっと、写真撮ってみただけの異邦人~♪ (古いし・・・ぴみょ~に違うし・・・)

2005年10月26日 | パリの出来事 | こめんと 28件 | とらば 1件 | とっぷ

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