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アリとキリギリスの真実?

最近KiKiさんのブログで話題になっていたラ・フォンティーヌの「アリとキリギリス」、わたしも面白いと思ったので記事にしちゃいました♪

まず、原題は「LA CIGALE ET LA FOURMI」で実は「セミとアリ」なのですね。えっ、蝉? ってはじめて知った方はKiKiさんの記事、コチラコチラも、もっと詳しく知りたい方は「セーラー服とエッフェル塔」を読んでいただくとして、今日わたしが触れたいのはこの物語そのものの解釈ですね。






LA CIGALE ET LA FOURMI

La cigale ayant chanté
Tout l’été
Se trouva fort dépourvue
Quand la bise fut venue :
Pas un seul petit morceau
De mouche ou de vermisseau.
Elle alla crier famine
Chez la fourmi sa voisine,
La priant de lui prêter
Quelque grain pour subsister
Jusqu’à la saison nouvelle.
« Je vous paierai, lui dit-elle,
avant l’août, foi d’animal,
intérêt et principal. »
La fourmi n’est pas prêteuse :
C’est là son moindre défaut.
« Que faisiez-vous au temps chaud ?
dit-elle à cette emprunteuse.
- Nuit et jour à tout venant,
Je chantais, ne vous déplaise.
- Vous chantiez ? j’en suis fort aise :
Eh bien Dansez, maintenant ! »

Jean de La Fontaine

イラストと原文は「Benjamin Rabier」というサイトから頂戴しました。

わたしが子供の頃に読んだこの物語は最後にアリがキリギリスに食べ物を分けてやるというお話でした。
ところがこの原文を読むと、アリはキリギリスに「それなら、これからは踊ったら!」と言ったところで終わっていますね。
実はこのテキストを易しくしたものは以前、日仏学院の通信講座の中級準備で課題にでていたのですが、そこではこう書いてありました。

日本のお話ではアリはキリギリスに食べ物を分けてやるのですが、このラフォンテーヌやその基となったイソップでは分けてやりません。これは国民性・民族性の違いでしょうか

日本でたくさん子供向けに翻訳されている「イソップ物語」、本によってラストの解釈が3パターンに分かれているというのはご存知でしたか?
「イソップ」の世界というサイトを参考にしたところ、戦後から90年代の終わり頃までに出版された本の中で、結末の解釈が多い順に挙げるとこうなるようです。

アリがキリギリスに ①食べ物を分けてやらない話、②食べ物を分けてやる話、③食べ物をやったかどうか判らない話。

先ほどのサイトに載っていた訳をいろいろ読んでみると、かなり日本語訳が一人歩きしている印象がありますね。とても残酷なお話になっていたり、人情モノになっていたり、なにか曖昧なままになっていたり。。。でも一般的には、日本でのこのお話の結末は②だとされているようです。フランス語の原文では、もっとあっけらかんとした感じがするのですが。。。ここで西洋と東洋の精神や、フランスの個人主義にまで触れようとは思いませんが。。。

あなたが読んだ「アリとキリギリス」の結末はどれでしたか?

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2006年03月31日 | フランスのかわいいもの | こめんと 10件 | とらば 0件 | とっぷ

ビバ☆ブリジット・バルドー



最近「GyaO」でブリジット・バルドーの映画「セシルの歓び」(1967)と「ドンファン」(1973)を観ました。(4月6日までやってます)
それについて今日は徒然に書いてみます。

まず「セシルの歓び」、この映画はだいぶ前にビデオで観て久々にまた観ました。最初からいきなり恋人役に「髪結いの亭主」などでもおなじみの、若き日(でもないのか?)のジャン・ロシュフォールが出てくるのがツボです。普通の二枚目の役ですが(笑)、相変わらずお目目くりくり☆

この映画ってバルドーの出演作の中で、彼女が最も美しいといわれている作品らしいです。ファッションモデル役の彼女の衣装ももちろん、ロンドンの街やスコットランドの田舎の景色などもきれいです。

バルドーの映画って日本人にとっては、意外となじみがないかもしれません。彼女はたくさん出演作があるのですが、考えてみたらそんなに彼女の映画で大作と呼ばれるものってあるかなーという感じ。個人的には印象に残っている作品はいくつかあるのですが。誰もが安心して観られる作品ってちょっと思い浮かばなかったりします。この映画もなにかスッキリしない終わり方で、モヤモヤ感が残りますねぇ☆

驚いたのはニースの学校に行っていたとき、フランスの有名人についてグループで討論しょうという授業で、主に20代前半くらいの若いヨーロッパの留学生の多いクラスだったのですが、彼らがいちばん熱く語っていたのがバルドーのことでした。
フランス人の先生が「彼女が映画のなかでmerde!と叫ぶシーンを最初に観たときはショックだった」と言っていたことがあるのですが、この映画のなかにもありますね。ロンドンの街中で撮影をしているときのシーンで、カメラマンがシャッターを切りながら「恋人いる?」「何人も?」と質問すると、バルドーが笑顔でmerdeを連呼する場面が。
字幕では「バカ、バカ・・・」となってますがね。もっと汚い言葉ですね☆ 淑女の方は言わないように(笑)。先生が言ってたのはこの映画のシーンのことだったのかな?



ま、生身の人間とは思えない彼女の存在感、そのバレーで鍛えたスタイル、気取ったような上流階級アクセントのフランス語で喋る奔放なセリフ、堂々とした身のこなしと無邪気な笑顔、当時はさぞかしセンセーショナルなアクトレスだったのでしょう。

そして「ドンファン」。この映画の監督は彼女の最初の夫、ロジェ・ヴァディムではありませんか。彼女にとって引退作となったこの作品、さきほどの「セシルの歓び」から6年の歳月が過ぎ、コケティシュな雰囲気より女王のような貫禄が強調されている?

この映画では彼女より、共演のジェーン・バーキンの美貌に目が行ってしまうのはしかたないかもしれませんねぇ。
いかにもイギリス娘という感じのかわいい彼女も歌の歌詞にmerdeがありました。「マイ・シェリー・ジェーン」という曲の中に「Et puis merde avec vous」、「それから、もう嫌! またあなたたち」(鳥取絹子さん訳)というものが!
この曲1974年のものだから、前の年にバルドーが映画で発したのを観たゲンズブールが詩に取り入れたのでしょうかね。。。

あと、二人が裸でベットで戯れる有名なシーンがありますね。モザイクが入ってよけいにいやらしくなってしまいました☆ (わたしはあのシーンのモザイクなしを観ている。。。) 
そのシーンでバーキンの夫役が変な着物風のガウン着てましたね(笑)。バスルームの壁に浮世絵みたいな絵があったり、変な日本趣味もちらりと。
この映画にしても、女の魔性みたいなお話で全体的に怖いです~。ラストも嫌な終わり方でした。



むしろバルドーの魅力や60年代のファッションなどを堪能したいときは、彼女の出演映画より音楽クリップのほうが面白いかなぁ。
ディヴァインB.B.」などはほんとにオサレで楽しいです。当時のフランスのテレビ・ショーで歌って踊るバルドーが素敵すぎます。



なかでもこんな衣装の「コミック・ストリップ」という曲は最高ですね!
ポップな色の風船がいっぱいの鏡張りの部屋で、スーパーマンみたいにマントをつけて黒いカツラのバルドーがアニメのヒロインになりきってます。
決してうまいとはいえない歌いっぷりですが、一度聴いたら忘れられない曲が満載です。

代表的なバルドーの曲を試聴してみましょうか? コチラから
比較的有名かと思われるのはDisque : 1の「La Madrague」やDisque : 3の「Harley Davidson」あたりかな。このボックス、わたしも持ってました☆

39歳で「ドンファン」を最後に映画界から引退したバルドー、南仏でひとり優雅に愛犬たちと暮らしているのかと思いきや、90年代に入ってから政治家と結婚してました。四度目の正直となるのか!?
時々動物愛護活動関連でお姿をみかけたりしますが、なにか役柄の気の強いイメージとは違って、実物は儚い感じの人なのかしらね。マスメディアのイメージとのギャップが激しかったのでしょうか。
フランス女優って年齢を超越したみたいな人が多いというイメージだけど、彼女は自然に逆らえなかったのか?

彼女の自伝「イニシャルはBB」を読むと、天真爛漫なイメージがかなり変わってしまうかと思います。
美人でセクシーな女性って、周りが羨ましく思うほど幸せじゃないのかしらー★

2006年03月28日 | 私的フランス映画 | こめんと 2件 | とらば 0件 | とっぷ

別にどうとも思わない

さて「異邦人」を読みます。

レエモンの告白はまだ続きます。ムルソーはというと相変わらず淡々と彼の話を聞いているだけなのですが、今回はどうでしょうか?

Je la tapais, mais tendrement pour ainsi dire.

あいつをたたいてやったさ、ほんのお手やわらかにね。

このフレーズで使われているpour ainsi direは慣用句でほとんどまるでいわば、といった意味です。

Elle crait un peu.

あいつはすこし泣き声を立てた。

Je fermais les volets et ça finissait comme toujours.

おれは鎧戸を閉めた。そこで、終わりはいつものごとしさ。

ここで使われているetは結果を表しているようです。それでそうしたらといったニュアンスだと思われます。

Mais maintenant, c'est sérieux.

でも、こうなって見ると、笑い事じゃ済まされない。

このフレーズの訳は意訳的ですね。

Et pour moi, je l'ai pas assez punie.

それに、おれとしたって、まだ女を凝らし足りない

レエモンはムルソーにこの話をどう思うかと尋ねます・・・

J'ai répondu que je n'en pensais rien mais que c'était intéressant.

私は、別にどうとも思わないが、なかなか面白い話だと答えた。

するとレエモンは自分のたくらみをムルソーに話します。そして女を呼び出すための手紙の文面をここで考えて欲しいと言います。
ムルソーは抵抗なくすぐに手紙を書き、声を上げてそれを読みます。
それを聞いたレエモンはすっかり満足してこう言います・・・

Je savais bien que tu connaissais la vie.

お前には、世の中のことがよくわかっている、それがおれにはよくわかるよ。

ここで出てきた名詞のvie人生生活というよりは、世間といったニュアンスです。

その言葉を聞いたムルソーはこう感じます・・・

Je ne me suis pas aperçu d'abord qu'il me tutoyait. C'est seulement quand il m'a déclaré : Maintenant, tu es un vrai copain, que cela m'a frappé.

最初、彼が私を「お前呼ばわり」したことに気がつかなかったが、「こうして見ると、お前はほんとの仲間だ」といわれたとき、その言葉が、はじめて私をびっくりさせた。

ここではじめてレエモンはムルソーにtutoyerで話し、呼ばれた彼自身もそれに気づいてびっくりしています。お前呼ばわりと訳されていますが、要するになれなれしい口の利き方をされたってことです。

フランス語には丁寧な言い方をするときの婉曲表現というものがありますが、日本語の敬語にあたるものがないので、その点は楽なのですが、会話の場合、仲間うちや目下の人に話すtutoyerと、初めて会った人や一般的な関係の場合のvouvoyerの大きく二種類の喋り方があります。
最初にvouvoyerで話していた人が、なにかを境にtutoyerに変わるというシーンは小説や映画などでたまにみかけるし(特に男女の間で、恋愛関係に発展するときなどにみますね☆)、フランスでの日常生活でも相手によって使い分ける必要がありました。学校のクラスメートや先生(たまに例外もいますが☆)、ステイ先の家族などには初対面のときからtutoyerでした。街で知らない人と話す場合(ものを尋ねるときや、軽い世間話などのとき)はvouvoyerでしたね。

さて、レエモンは自分の相談事に付き合ってくれるムルソーに、すっかりと心を許したみたいですね。肝心のムルソーの方はというと・・・

j'ai dit : oui. Cela m'était égal d'être son copin

私は「そうだな」といった。彼の仲間だろうと、そうでなかろうと、私にはどうでもいいことだった。
このCela m'être égal de+動詞の原型~という表現はムルソーお得意のフレーズですね。私には~なのはどうでもいいと固まりで覚えておくと使いやすいかもしれません。

・・・意外とこの小説って、ムルソーのセリフにあるような曖昧な表現を学ぶのにいいテキストかもしれませんね。

2006年03月26日 | 「異邦人」を読む | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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