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不幸のとびら

さてさて「異邦人」の一部も原文であと10行ほどになりました。今日で一部を終わらせます。

それにしても怖いタイトルを付けてしまいましたね。読んでくださっているみなさんは、お気づきのようにこのカテゴリーのタイトルは窪田啓作の訳した文章のなかから、毎回わたしが選んでいるんですが、このタイトルは怖い! 自分だったらこんなタイトルのブログを見つけてもクリツクしないよー。(笑)

今日お送りする部分はフランス語でも日本語訳でも、つっこむところのない名文だと思いますが、わたしは意外なところにはまってしまいました。まぁ、それはさておき、はじめましょう。

ムルソーがアラビア人をピストルで撃ってしまったところからです。

c'est là, dans le bruit à la fois sec et assourdissant que tout a commencé.

乾いた、それでいて、耳を聾する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。

さて、ここでいうすべてって何でしょう?

toutを名詞として引くと全体という意味のすべてとも出てきますが、重要なことという意味も出てきます。
なんだか、くちはばったいですね。わたしがあれこれ言わなくてもいいかって感じですね(笑)

最初この小説を読んだとき(もちろん日本語で)、このすべてが始まったっていうフレーズかっこいいと思いました。そして、今まで繰り広げてきたムルソーの坦々とした日常はほんのイントロダクションに過ぎないのか、これからこの小説盛り上がるのかなって期待したけど・・・甘かったです。(笑)

J'ai compris que j'avais détruit l'equilibre du jour, le silence exceptionnel d'une plage où j'avais été heureux.


昼間の均整と、私がそこに幸福を感じていた、その砂浜の異常な沈黙とを、うちこわしたことを悟った。

昼間の均整って何でしょう?(つっこんでますね、やっぱり・・・)
原文を読むだけだとjour日の光という意味にもなるので、最初太陽のことかと思ったんですが、昼間のことを言ってるんですか・・・。詩的なフレーズですね。(汗)

Alors, j'ai tiré oncore quatre fois sur un corps inerte

そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。

Et c'etait comme quatre coups brefs que je frappais sur la porte du malheur.

それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。

この二つの文を並べたのはquatreが二回続いて、corpscoupsで韻を踏んでいるので、続けてこの二つの文を読むと音感がきれいだと思ったからです。
そして、わたしがはまったのは、このという数字。日本ではは死を表す縁起の悪い数字になっているけれど、フランスではまったくそんなことはないのです。では、なぜ? なにかを暗示しているのか、それとも、たまたまだっただけか・・・。
そこで、わたしはこのquatreについて、仏和で調べてみました。
するとcomme quatre という慣用句がありました。度を越して並外れてという意味で、mangerと組み合わせて、ものすごく食べるという意味で載っていました。
さらに、ここの趣旨から外れるけど、子供がmon quatre heuresと言うと、おやつという意味になるらしい。フランスの子供のおやつは一時間遅れか・・・。
まぁ、それはいいんですけど、ここではquatre coups 四発だけど、Les quarte cents coups四百発というタイトルの映画があります。
わかりますか?
なんとトリュフォーの「大人は判ってくれない」です。前々からこのタイトルは??って思っていたんですけど、こんなところで取り上げることになろうとは。驚きましたねー。これもネットで調べたんですが、この映画の記事をたくさんみつけたけど、原文のタイトルについてつっこんでいる人はみつけられませんでした。
もちろんその映画のcoup打撃とかショックという意味のほうで、そのタイトルは傷だらけというニュアンスなのかなと思うのですが・・・どうでしょうか?

すっかりムルソーそっちのけでにはまってしまったわたしでした。

あっ、不幸のとびらはそのままでしたね。なんのひねりもありませんでした。(笑)

さて、「異邦人」も一部が終わりました。
このまま二部に移るよりは、このブログはおもいっきり読んでいる途中から始まっているので、さらっとですが最初からおさらいをしていこうと思ってます。
今日もわたしの勝手なアプローチに付き合ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

2005年06月28日 | 「異邦人」を読む | こめんと 3件 | とらば 1件 | とっぷ

コメント

しゃるろっとも判っていなかった

大ボケをかましましたー。
「大人は判ってくれない」の原題について触れているよい記事を、このあと見つけました! なんと「悪さをする」という意味だそうな・・・。全然違うじゃないか! すみません。
興味のある方はじっくりコチラを読んでください!

http://blog.livedoor.jp/matusan/archives/26463685.html

2005年06月29日 / しゃるろっと #-URL【編集

ありがとうございます

コメント&トラックバックありがとうございます。
タイトルの訳の記述が役に立つとは思いませんでした。光栄です。
折角なので映画マニア的情報を基にもう少し詳しく書かせていただきますと・・・
「悪さをする」という意味には「子供」ではなく、実は若い娘の素行の悪さ、特に「男遊び」を暗喩する意味合いがあるそうです。
トリュフォー監督は挑発的な意味合いも込めて、あえて「子供の悪さ」というこじつけたタイトルにしたみたいです。

2005年07月01日 / まつさん #-URL編集

まつさん こちらこそ

まつさん、こちらこそありがとうございました。
映画のタイトルにしても、音楽のタイトルにしてもそうなんですが、本当に裏方の方が頭を悩ませて決めているんだろうなと前々から感じていました。わたしはフランス映画、しかも古いので好きなものが多いのですが、タイトルだけみてもかなり興味深いです!
そして文化や物の感じ方の違いが、面白いです。
まつさんのブログ、正しい日本語でしっかりと書かれていて、とても読んでいて面白いです! これからの記事も楽しみにしています。

2005年07月01日 / しゃるろっと #-URL【編集

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2005/07/01 | まつさんの映画伝道師 |

マイベスト100 洋画82位 「大人は判ってくれない」

第136回 今回はマイベスト100、洋画の82位をご紹介しましょう。洋画82位 「大人は判ってくれない」監督:フランソワ・トリュフォー出演:ジャン・ピエール・レオー(1959年作品・フランス) 13歳のアントワーヌ・ドワネル(ジャン・ピ

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