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猫と裸婦と自画像と・・・



今日は藤田嗣治について徒然と・・・感じたことなど書いてみます。

今、上野の東京国立近代美術館で藤田嗣治生誕120年の展覧会をやっておりますね。彼の大きな展覧会は日本で初めてということもあるのか、最近テレビで彼を扱った番組も何本か放送されました。
二回に渡って放送された「美の巨人たち」もよかったんだけど、HHKでやった「パリの異邦人~画家・藤田嗣治の二十世紀」がやはり見ごたえがありました! この番組は「藤田嗣治「異邦人」の生涯」をビジュアル化したようなものだそうですが、彼の生涯を知る上での貴重な映像の数々、堪能させていただきました。



わたしは今まで藤田嗣治といえば、日本から来たエコール・ド・パリの異端児。「フーフー」(fou-fou)、「浮かれた人」「頭のイカレタ人」というあだ名で呼ばれていたということ、それから晩年にカトリック信者になって、ランスに小さな礼拝堂をつくった・・・ということくらいしか知りませんでした。
彼の作品はパリではポンピドゥー(国立近代美術館)や市立近代美術館にあるらしいのですが、わたしは両方、何度か足を運んでいるのですが、彼の作品を見たという記憶がないのですね。。。なんてもったいない。

番組のなかで出てきた絵の中では、やはり猫と裸婦と自画像、それから子供たちの絵が印象深かったです。猫については「猫の本―藤田嗣治画文集」という本もあるそうです。裸婦に関しては、とてもエレガントな印象を持ちました。自画像に関しては1936年に描かれた、和室で浴衣をだらりと着たフジタの絵が一番好きです。この絵を見ていると昔、ニッセイのCMで坂本龍一が和室で布団をひいたりしている場面を彷彿するのはわたしだけだろうか。。。♪おと~さんがこど~ものとき、おかーあさんをしら~なかった♪ って、曲。。。レコード持ってたわー。

画家って生き方はもちろん、どうしてこうフォトジェニックな人が多いんでしょうね。。。いやぁ、カッコイイですね。



ネットの画廊などを幾つか見たのですが、ほとんどフジタの作品はカラーエッチングもリトグラフも売却済みになってました。展覧会やテレビの影響もあるのでしようか。

今日アップしたフジタの作品は「株式会社シバヤマ」さんから頂戴しました。上から「自画像」「宝石の女」「バンドーム(ヴァンドーム)広場」「サンフィリップ教会」という作品です。偶然にも4枚とも1951年の作品でした。
いろいろと興味を持った画家の絵を通してみてみると晩年の作品がいいなと思うことが多いのですが、フジタの場合も、後期の絵のなかの人物の目に惹かれます。
代表作といわれている「カフェにて」に描かれた頬杖をついた女性の表情を、NHKの番組では「憂いをたたえた・・・」と評していたけど、なにかもっと怪しい魔性を感じます。わたしは。。。



この絵の子供など、寝る前にみたら夢に出てきそうです。。。

NHKの番組に話を戻すと、なにか「古きよき時代の巴里」がたくさん映っていたなーとため息ものでした。最後のほうのセーヌ川を映し出した映像(バスから見るとちょうどああいう風に見える)など、特に。
確かにパリは古いものを大切に残しているというけれど、新しい建物やモニュメントなどもどんどん作られているわけで、その辺は微妙なものも感じます。

最後のほうで、フジタがカトリックの洗礼を受ける実際の映像にはグッときました。彼が喋るたどだとしいフランス語、映像の中の彼の表情、晩年に田舎の自宅の前で近所の子供たちと一緒に笑っている映像など、感涙モノじゃありませんか。。。

ナレーションが「フランスでも、日本でも異邦人だった・・・」なんて言ったときにゃー、たまらんものがありました。ハイ。

彼は死後、自分がつくったランスの礼拝堂に葬られることを望んだらしいのですが、遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バークルに葬られたとのことです。追記 : その後2003年に生前の彼の希望通り、遺体はランスの礼拝堂に移されたようです。

自分について語ることをしない、言い訳をしないっていうのかな。。。それもある意味徹底してなされると、ものすごいカリスマ性に繋がるのかな。。。いろいろと思うこともありますが、最後に簡単に彼の経歴をまとめて終わりにします。

1886年 東京に生まれる。

1910年(24歳) 東京美術学校西洋画科を卒業。

1913年(27歳) 渡仏。

1917年(31歳) パリの画廊で初めての個展を開く。

1919年(33歳) サロン・ドートンヌに入選する。

1929年(43歳) 一時帰国。

1930年(44歳) 再び渡仏。1933年までパリを中心に中南欧各地で制作。

1933年(47歳) 帰国。

1939年(53歳) 三度目の渡仏。

1943年(57歳) 朝日文化賞受賞。戦争画を描いたのち、日本画壇と離別。

1949年(63歳) フランスに渡り定住。

1955年(69歳) フランスに帰化。

1956年(70歳) カトリックの洗礼を受ける。レオナルド・フジタと改名。晩年はランスのノートル・ダーム=ド・ラ・ペ礼拝堂の設計に没頭する。

1957年(71歳) レジオン・ドヌール勲章受章。

1968年(82歳) チューリッヒで歿。

2006年04月11日 | アートの話 | こめんと 4件 | とらば 0件 | とっぷ

コメント

 はじめまして、「☆ビューティBLOG IN FRANCE☆」経由で伺いました。藤田嗣治の記事があったので思わず投稿してしまいました。藤田について3~4年前に初めて知って、それから最も好きな画家の一人でした。ちなみに私の最も好きな画家の中では、藤田だけがまっとうな人生の終わりを迎えており、その事もより印象深くしているように思います。他の好きな画家は、乞食状態で路上で倒れ、施設に収容され、そこで亡くなり火葬される。わずかな所持品だった作品も焼却処分された(長谷川利行)とか、最後の作品を描いている途中、突然窓から飛び降り亡くなる(ニコラ・ド・スタール)とか…。そんな訳で、藤田は芸術と幸せな人生を両立したという点で、私にとっては希望の光であります。

2006年04月12日 / Kyata☆ #p6CkwyQgURL【編集

Kyata☆さんへ

はじめまして!

MARCHさん経由でしたか☆
そうですね、フジタは有名画家のなかではとてもまっとうな人生を送っているほうですね。最近フジタに興味がでてテレビで観たりしていると、人柄がとてもいい人だなーって思いました。絵もいいけど、フジタ自身が魅力的で、他の同時代の人々の書いたものなどでイメージされていたより、真面目で努力家だったということを知ってとても感動しました。

ニコラ・ド・スタールはアンティーブで最後の作品を観ました。とても印象的な絵で色や、その作品の大きさに圧倒されました。

2006年04月12日 / しゃるろっと #-URL【編集

お久しぶりです。
日本に行ってきましたよ。

ところで、藤田氏の埋葬場所についてなんとなく記憶があったので調べてみました。
http://homepage2.nifty.com/yantommy/iblog/C2012449855/E331265614/

今はランスのようですね。
ランスを希望してたってTVでやるほど有名な話なのに奥さん知らなかったのかなぁ?私がパリで目にした記事はパリに住む奥さんがそばにいて欲しかったから・・・というようなものだったのですが。(かなりうろ覚えですが)

2006年04月26日 / erin #-URL【編集

お久しぶりです!

erinさん。日本はいかがでしたか?

調べてみたら、フジタは親友のランスのシャンパンの社長に遺言を残していたみたいで、奥さんも内容を知っていたんだけど、それを無視してパリに埋めたらしくて、裁判ざたにもなったようです。その裁判では奥さんが勝ったようですが、最近になって遺言どおりランスの自分の礼拝堂に遺体は収められたようです。

自分の作品に入れるなんて、アーティストとしては幸せかもしれませんね。フランスでは芸術家ではなくても「シュヴァルの理想宮」のひととか「ピカシェットの家」のひとなど、自分のお墓作りに燃えた人がいますね。
ニキ・ド・サンフィルも死後の自分の場所としてタロットガーデンを造ったようだし。

興味深い話をありがとうございました!

2006年04月27日 / しゃるろっと #-URL【編集

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